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日々雑感

** アリストテレスの自然哲学の特徴(前)[#ubed7fe7] アリストテレスの『自然学』の原典講読の収録を数回分終え、学術誌”’International Journal of Science in Society”’から拙論文“Aristotle’s Natural Philosophy: A Contrast with Early Greek and Modern Science”(「アリストテレスの自然哲学:ギリシア初期及び近代科学との比較を通じて」)が刊行されたのを機に、アリストテレスの自然哲学についてその特徴を簡単に素描しておきたい。この論文については、その要旨を改めて「主な研究」のコーナーに掲載する予定なので、ここでは論文調ではなくやや雑感風に、アリストテレスの自然哲学の特徴を二つの論点に絞って新たに書き下ろしてみる。原典講読においては、古典を読むということ、それ自体に意味があるのであって必ずしもそこに現代的意義を求める必要はないと私は考えるが、このアリストテレスの『自然学』に限って言えば、今これを読むことの意味も失われていないように思われる。 アリストテレスの自然哲学の第一の特徴は、形相因と目的因の重視である。アリストテレスは、原因には質料因、作出因、形相因、目的因という四つの意味があるとし、いわゆる四原因説を唱えた。この四原因説は『自然学』(194b24-35)のみならず『形而上学』(983a24-32, 1013a24-35)にも出てくる、アリストテレスの自然哲学を語る上で重要な区別である。例えば、青銅の像ということに関して言えば、質料因は像が作られている素材、青銅であり、作出因は像を産出したもの、彫刻家であり、形相因は像の何たるか、競技選手であり、目的因は像がそのために作られたところの目的、オリンピア競技会勝者の祝福といった具合である。この四原因説に即して言えば、今日の自然科学には、それが拠って立つ基盤はまさに質料因と作出因だという暗黙の合意がある。逆に言えば、形相因とか目的因というようなものを持ち込んだとき、それはもはや科学とは言えなくなるということである。しかし、アリストテレスは原因のうちに四原因すべてを含め、そのことによって自然哲学というものが考えられている。つまり、アリストテレスによれば、質料因と作出因だけでは世界の記述は不完全にとどまるのであって、それら四原因の解明を通じてこそ世界の完全な記述が与えられると考えられているのである。 現代の自然科学というのは形相因とか目的因というものはできる限り排除していく過程で成り立ったそういう性格をもったものであるから、こういう発想はそもそも現代の自然科学にはないし、反科学的として斥けられるきらいがある。しかし、やはり、世界の記述においては四原因すべてが総体として捉えられなければならず、形相因や目的因を排除するならば世界の記述は不完全にとどまるのだという認識こそ、アリストテレスの自然哲学から得られる重要な教訓であると言えよう。そういう意味では、アリストテレスの自然哲学はなおその今日的意義を有しているとも言えるのである。(続) ** アリストテレスの自然哲学の特徴(後)[#ubed7fe7] アリストテレスの自然哲学のもう一つの特徴は、運動というものをそのものがもっている本性によって説明しようとすることである。これも今日の学の趨勢に逆行する考え方で、今日の学には、自然科学、人文・社会科学を問わず、そのものがもっている本性とか本質とかそういうものを忌避し、すべてをそのものが置かれている環境によって説明しようという傾向がある。つまり、ものそのものが何かそのうちに本性とか本質をもっているというわけではなくて、そのものの性質はそれが置かれている環境によって決定されるという考え方である。例えば、倫理学というのもそういうところで成り立っているわけで、ものの善悪ということに関してもそれはものが持っている性質ではなくて、我々の側からものに付与する価値であるという考え方である。成程、そのように考えても、我々に共通する人間本性なるものを想定することによって必ずしも主観主義には陥らない、それがヒュームの哲学から得られた教訓であった。 とは言え、すべての性質がそのものから奪い取られ、周りの場によって構成されるという考え方はいかがなものであろうか。やはり、性質のうちには、そのものが本性的に持っている性質、そのものに本来的に備わっている性質というものもあるのではないかと考えられる。アリストテレスは、ものが偶有的に持つ性質からものが本性的に持つ性質を分け、ギリシア語で言えば、前者はκατὰ συμβεβηκός、後者はκατὰ φύσιν, κατὰ οὐσίαν, καθ᾽αὐτός等々いろいろな言い方がなされているが(190b17, 193a1, 196b20, 224b20等参照)、ものが本性的にもっている性質というものを考えている。これは後にロックの第一性質と第二性質の区別にもつながる重要な区別である。 アリストテレスは「上」と「下」に絶対的な区別を立てる。アリストテレスによれば、「重い」物体は本性上「下へ」、「軽い」物体は本性上「上へ」動く。即ち、最も重い元素は宇宙の中心に集まり、最も軽い元素は宇宙の中心から最も遠いところにある。各々の元素は「本来の場所」をもっていて、土のすぐ上に水が、次に空気が、そして火が中心から最も遠く、天空に最も近い場所にある。アリストテレスが、原子が真空中を無目的に動き回るという原子論的な世界観に反対し真空を否定したのも、運動はものの本性によるものであり、均質的な空間においては運動もないであろうと考えたからである。こういう思想が実体形相説という形になって結実するわけで、要するに物の中に本質があるという考え方、その意味でアリストテレスの本質主義、そしてそういうものをもとにして物体の運動とか静止とかそういうものを考えているのである。このような考え方が現代科学に照らして様々な問題を孕んでいるとしても、この点でもまたアリストテレスの自然哲学は我々に重要な示唆を与えてくれるものであると言えよう。 以上総括すると、一つには形相因とか目的因とか、そういうものを含めてはじめて世界の記述が完全なものになるという考え方、それからもう一つは、もののうちには本性や本質があり、それによって運動や静止が説明されるという考え方、これらの考え方が、現代の自然科学とは区別される、アリストテレスの自然哲学の特徴をよく表していると言えよう。(終)



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